鉄の意志持ち長期目線で:日本経済新聞

Faced with unexpected levels of losses or delays in revenue projections, we can get upset and resort to ad hoc measures. This is especially true when shareholders press for “achieving the planned figures.

“The uncollected amount is higher than we expected. If this goes on, we might lose up…

播磨灘物語も第四巻、佳境である。

信長がクーデターに斃れる直前期の話。備中高松城の戦い。

西国の覇者、毛利勢と新興の織田勢の対決。この頃の織田家は東国の巨大勢力だった武田を制圧寸前であり、もはや天下の形成はかなりの部分織田に傾き始めているといってよい状況。その織田勢の前衛は羽柴秀吉、宇喜多を信長の方針(闘って滅亡させよ)に逆らって調略(対決ではなく裏切を促し味方につける外交戦略)により味方につけた直後の戦闘である。
そこで歴史舞台にさん然と登場する、あの有名な水攻め(大河ドラマにも映画にも、劇的で有名なシーンとして繰り返し登場する)の描写を始める前に司馬は、まずもって日本の合戦の特殊性について説く。
要するに裏切り行為について。この行為がいかに戦争の度に常に付き纏うものなのか、それを理解すること無くして日本の戦争は理解出来ないと。合戦と言えば関ヶ原。関ヶ原と言えば裏切り。裏切りと言えば小早川、あまりにも有名なエピソードだか、実はあらゆる合戦の裏に裏切りとそれを戦略的に誘う調略戦略があったがそれは構造的な社会の仕組みですらある、と喝破する。
この高松城水攻めを取り巻く、毛利と羽柴の両軍の中にも常に裏切りの可能性があり、その微妙な力学の上で外交戦略、諜報戦略、無血開城、という作戦が展開されていく。特に諜報活動においてはこの闘いの興味深さは日本史上の中でも類を見ないレベルではないだろうか。もちろんここでも羽柴秀吉の軍師である黒田官兵衛も縦横無尽に活躍する。官兵衛ファンにとっても特に面白いのがこの四巻だろう。

黒田官兵衛の一生と黒田家4代を描いた司馬遼太朗の大著であるが、私はこの書の持つ「信長の天下統一国家構想」を読み解く考察文書としての側面に大変注目しています。

単なる斬ったはったの戦国絵巻ではなく、近代国家樹立への模索が描かれているように思える。日本に適しているのは中央集権型か封建型かという遠大なガバナンス・政治形態の主題。信長の構想のとん挫と豊臣・徳川の封建制度の完成で日本の近代化は300年遅れ、やがてそれが倒幕から明治時代以降の無理な近代化や戦争へと繋がっていく、とすら想像されて大変に趣深いものがあります。

天下に武を布く、ということもさることながら、それ以上に天下に商いの道を布くということを信長は大政策として鮮明に打ち出していた。信長は一国を攻略すると、ただちに中世経済の約束事をうちこわした。座という専売制を廃止し、商業の自由という意味の楽市楽座の制を布いた。さらには関所を撤廃し、通行の自由をあたえた。この室町期の一特徴であった関所は、領主が領民から通行税をとるためのもので、防衛上のものではない。領民から通行税をとって人間や荷物のゆききを困難にしているかぎり、商業は興らないということを信長はよく知っていた。彼は決して武を好むだけの粗放な男ではなく、旧天下をこわして新天下を創造するだけの基本的な施策をもっていた点、かれとともに勢力を競っていた武田信玄や上杉謙信、あるいは毛利元就と根底からちがうところであった

官兵衛はかねてそういう信長に、新時代が出現しつつあるというまぶしさを感じていた。

商業革命。まぶしいです。発想が斬新すぎます。今日に当てはめるとどのような斬新な構想になるのか、想像もつきません。

当時、琵琶湖はこんにちの交通観念からは想像しがたいほどに、湖そのものが大きな水運機関であった。略 上方(京都)で変事が発生した場合、信長は安土からすぐに船に乗り、大津に上陸して逢坂山をこえて京に入る。行軍時間の短縮という点で、琵琶湖の水は信長に大きな便益をあたえる。

四方の司令官に対する命令の伝達速度も、この琵琶湖は短縮した。

北陸の北ノ庄城(福井)にいる柴田勝家に対する命令伝達は、おそらく一日を短縮できたであろう。大阪で本願寺攻撃をしている諸将への命令も、摂津(兵庫)の荒木村重への命令もおなじく短縮出来た。伊勢路への伝達も、これは陸路ながら、安土に城を置くほうが便利であった。

信長が、それ以前の武将とまるでちがった感覚のもちぬしだったことは、そういう理由の中にもうかがえる。城というものを防御の設備のみとして考える思想が、信長から消滅していた。彼は城下をもって、その勢力圏の経済の中心地であると考えた。さらにはその地点から四方に命令を出し、四方に軍隊を派遣するための交通の中心であると考えるようになっていた。

通信・モビリティ革命。

このため、信長は余人にこそ洩らさなかったが、京都の地理的位置を無視した。かれが京都に治所を設けず、城館すら作らず、京都に用のあるときはごく気楽に寺を宿所にあてたのは、京都に常駐する意味を政治地理的にみとめなかったからであった。

クラウド・シェアエコノミー的な着眼でしょうか。しかし皮肉にも、京都に武装した城館をもっていてそこに宿泊する習慣であれば京都通過時に本能寺に宿泊したところを襲われそこですべて終わるなどということはなかったかもしれません。。

さらには、天下平定をした場合には安土をすてて大阪に一大治所を建設しようとしていた。大阪湾の水路が、天下を掌握する上で便利であること、さらには東アジアの諸国との通商に便利であるということを考えていた。かれが大阪の石山本願寺に立ち退きを命じ、本願寺がそれを拒否し、以後、累年戦線の膠着している石山合戦を演じつづけているのは、それがためであった。

日本の中心としての大阪城建造。アジア戦略。地球レベルの壮大さと先見性に震えますね。

大阪城とは信長から引き継いだ構想なのであり、秀吉の独創ではなかったということですね。

以上は第二巻からでした。

次回は三巻以降を振り返ります。

決定が具体的に仕事へと結実しない限り、それは決定ではない。それは、せいぜいよくても、善良なる意思でしかない。これはすなわち、効果的な決定自体が最高レベルの概念理解に基づいている一方で、実効責任は、それを実行する人の能力に可能なかぎり近いものでなければならないということである。

なにより有能な経営者は、意思決定には独自の体系的プロセス、および明確に定められた独自の要素があることを知っているのである。

意思決定の逐次的ステップ

①問題を分類する(4種類に分類する)

②問題を見極める(我々は今、何と取り組んでいるのか)

③問題に対する答えを特定する(境界条件は何か)

④条件を満たすために、何が受け入れられるかではなく、何が「正しいか」を決める(何がその目標を完全に満たすのかを考える)

⑤決定を実行に移すための具体策を決定に組み入れる

⑥実際の出来事に照らして、その決定の妥当性および有効性についてテストする

P.F.ドラッカー

意思決定の思考技術 1967年のハーバードビジネスレビューの論文より

昭和天皇は、「玉音放送」と呼ばれたラジオ放送で、国民に無条件降伏を報告した。38歳の本田宗一郎は、その放送を、艦砲射撃によって破壊された東海精機(当時の本田が経営していた会社。トヨタが40%株主)の工場で従業員とともに聞いた。

起立して頭をたれ「玉音放送」を聞いた宗一郎は、日本の敗戦を知ると、泣いた。負けるとわかっていた戦争ではあったが、現実に無条件降伏となれば、それは悔しく悲しいことだった。宗一郎は隣にいた実弟の弁二郎に「さて、何をしよう、、」と茫然自失の小さな声で言った。

浜松は瓦礫の街となった。

戦争中2000人だった社員は敗戦の混乱で200人に減少していた。

「トヨタでは私に手伝えといったが、もうトヨタの指令を受けるのがいやだし、私は生ける屍にはなりたくない、」

と株式を売り払った。手にした45万円は現在の価値でゆうに1億円を超える。もっとも敗戦直後の激しいインフレで1年もしないうちに四分の一に価値をおとした。

妻のさちは、何もやらなくなってしまった夫を見て、

「敗戦のショックですっかりふぬけになったのか」

と心配した。

本当に何もせずに着流し姿でブラブラしていた。

(ブラブラの内容は割愛)

敗戦から1年後の9月1日、浜松市内に本田技術研究所を設立したのである。会社法人ではなく個人商店だった。いよいよ本田宗一郎が活動を再開した。

最初に手を出したのは、織物機械の開発だった。しかし、今一つ乗り気がしなかった。やはり自動車関係の仕事をしてみたかった。

そんなとき、宗一郎はすばらしいものにめぐり会ったのである。

陸軍が使用していた六号無線機の発電用小型エンジンだった。軍需工場の焼け跡から弟子が拾ってきた。

その瞬間、本田宗一郎の頭に、ひとつのアイディアが生まれた。このエンジンで乗り物を作れないか。

自転車に搭載すればいい。バイクモーターだ!

本田宗一郎 P146あたりから抜粋

長く世界の二輪市場、そしてやがてはF1世界にも君臨することになるホンダは、文字通り空襲の瓦礫の中から始まったのだった。

LA近郊の古本屋で見つけた、42年前の第一作のポスター。もちろん衝動買い。

42年間続いた「スターウォーズ」の完結編を早速観てきた。小学生の頃から新作の度に、ニュージーランド、帯広、東京、サンフランシスコ、シンガポールとそれぞれ上映開始時にその当地の劇場に通ってきたがそれも、今回で終わった。伝説が完結してなんとも放心状態である。

累計の興行収入は1兆円を超えるとされ、映画史上最大のヒット作である本作だが、1976年の第一作目は公開日までは関係者に失敗作と決めつけられていた事はほとんど知られていない。

当時35歳だった監督ジョージ・ルーカスは憂鬱だったという。一作目(エピソード4)は公開の目途すら全くたっていなかった。配給会社のFOX社自体が「SF映画は一部のマニアのものでしかない」と思っていたし、ストーリーは過去の有名映画の寄せ集め。そうプロ達には批評されていた。

目利きのはずの映画館のオーナー達も全く上映の意向を示さなかったため、ルーカスが自力でパンフレットを作成して配った。主役ルーク・スカイウォーカーを演じた俳優マーク・ハミルも自分で映画館に試写会の実施を頼み込みに行った。ある映画館でようやく決まった試写会が流れを変えた。

冒頭の有名な戦闘シーンから、観客すなわち一般消費者は息を呑んだ。業界関係者の冷淡な期待とは真逆に、熱狂したという。その反応を見たFOX社はじめ映画関係者の態度は一変し、上映を決める映画館が次々に現れ、連日長蛇の列ができ、その現象は瞬く間に全米に広まった。

ここからスターウォーズ伝説が始まる。映画の失敗を見たくないと電話が通じないハワイの別荘に引きこもっていた当のルーカスに、その驚異的ヒット現象を知らせるため友人のスピルバーグ監督がわざわざ訪ねて行ったという。チームを解散して旅行中だった製作スタッフ達は、「続編製作」の号令を受けて世界中から呼び戻された。

この映画は当時映像化不可能とされ、ルーカルはこの映画のためだけに特撮スタジオ自体をゼロから立ち上げなければならなかった。結果登場したのがカメラ自体をコンピュータ制御で動かす映像技法でこのスタジオはILMと命名され、現在私達が知っているほとんどの大ヒット特撮映画はこのスタジオから生まれ、映画の歴史を永遠に変える事になった。

今や世界に君臨する大手ネット企業でも、同じような経験をしたところが少なくない。検索大手が多数上場していた時期に検索事業をスタートしたGoogleは、「今さら検索か」と呆れられたり、ネットの黎明期にはネットで本を買う事も不思議がられ、Amazonは「誰がネットで本を買うものか」と初期の投資家に相手にされなかった。民泊世界大手のAirbnbも創業時「誰が自宅に見知らぬ者を泊めるか」と呆れられて資金調達が進まなかったのは有名な話だ。

しかし最初は一部の消費者がこれらの新しいサービスを熱狂的に支持し、やがてそれは大多数の消費者にまで広がり、誰もが想像しない成長を遂げた。プロであるはずなのに「その時点では存在しない価値」を世に問うた起業家たちのイノベーションを見抜けず、創業時の投資機会を断った投資家たち。その人たちはビジネスの将来性を理解してわずかでも投資していれば大富豪になっていた。

「その世界のプロ」は過去の経験則から、破壊的イノベーションを見抜けない事が多いという事だろう。スターウォーズ第一作は、消費者目線を軽視する事がどれだけ間違っているかを、私達に語りかけてくるエピソードではないだろうか。

革命と起業は創業、という意味で似ている。

そして革命と起業の次、革命政権の維持と、企業のグロース、巨大化もまた、似ている。

共通性は何か というと、

前者は、仲間集め、であるのに対して、後者は、仲間の選別、である点だ。

起業も革命も、最初はゼロから始まる。ある人物が問題、抑圧、圧政を感じ、その弱点や限界点を発見し、これはこう変えなければならない、こうすれば問題や社会は変わるのだ、と唱えなじめるのが出発点だ。

吉田松陰もレーニンも、スティーブジョブス、もっと言えばキリストも、そこは共通している。

そのある種熱狂的な発想、信仰は狂人的な信念がないと出来ない事であるから、創業者は大抵、周囲から乖離した尋常ではない人物であるが、それゆえに最初は周囲に理解されず、孤軍奮闘するになる。なかなか仲間も集まらない。しかし一人二人集まあってくる最初の賛同者達は革命初期の熱を感じ、熱狂的な信者と言ってもよい集団を構成していく。採用に大変苦労するのはこの時期だ。(ちなみにこの時期に後のNO2人材がほとんど輩出され、その部下たちが、さらに後の政権トップになっていく事は多い。伊藤博文やスターリン等。多くが政権維持の反動政治家になっていくのだが。)

当初は社会、つまりはマジョリティははそれを許容しないし、マジョリティにとって危険な思想である事も多いので、多くの場合は迫害されたり異端扱いされたり妨害されたり、最もマシな場合でも無視、される。

しかしそれがかえって、初期集団を熱狂させる。これこそわれらが正義である、正義は我にあり、という具合だ。

この段階においては、仲間はなかなか集まらないがゆえに、革命思想に共鳴する仲間を集める事が至上命題であり、革命や創業の理念が集団を支配する。その中にあって多少の考え方の違いはさほど問題にならない。いや問題は多少あっても、事業の急成長、革命の進行や社会の大回転が多少の思考の違いを問題としない、と言ってもよい。大手が潰しに来る。幕府軍が、王政派が、政府軍が、鎮圧にくる。共通の戦闘目標が集団を結束させる。

それどころではない、という事だ。

この、「それどころではない」というのが実は大変に重要である。グロースがすべての痛みを癒す、という言葉もこれに似ている。社内でも様々な思想、意見の対立、問題の噴出が見られるが、連勝していれば、組織も拡大を続けるし、給料も上がっていくし、なんとかなっていくのだ。

この後、政権が打倒され、新政権が樹立されたり、初期プロダクトが大成功してその世界の官軍的な存在になっていくと、理念に共感して集まった集団に加え、「マジョリティだから」という理由で大量のメンバーが流入してくる事で、事態が徐々にではあるが、本質的には一変していく。

白石正一郎 という人がいる。

幕末の長州藩は下関にいた豪商、だ。国内貿易商らしい。つまり商社経営者という事になる。
この人が歴史に名前が残るのは、歴史を回転させたある大事業に出資したからだ。しかも家を傾けるほどに出資し、遂には本当に倒産してしまったという。

「この出資がなければその事業は世に出なかった」という出資は、我々シード投資家には一つのロマンである。
ロマンス、とさえ言ってよい。
グロース投資にも意義があるが、すでに事業がグロース段階なのだから他にも投資家は探せばいるはずなのだ。しかしシード投資は歴史のIFのようなもので、その瞬間にその投資があったからタイミングよくその事業が立ち上がり、1か月でも出会いがずれていれば別の歴史になっていた、という事は珍しくない。そこにロマンがある。

さてその大事業とは。
企画者は、日本史上初の、階級を超えた民間の「市民軍」を創設し、アメリカ、イギリス、フランス、オランダ、という外国艦隊の長州侵攻を下関海峡で食い止め、戦い、あわよくば270年続いた政権である徳川幕府をも倒してしまう、その中核勢力を創設する、という。
当時でいえば途方もない、クレイジーにも程があると思えたはずのアイディアだった。参加者も出資者すらも、命を危険にさらさねばならない。

それが、「奇兵隊」の創業、である。
創設者は、高杉晋作。
本部は、白石正一郎邸。白石氏自身がCFOも兼任した。
幕府崩壊の5年前、1863年の事。

一町人がこれほどの企画に資金提供、共同創業という形で参加するチャンスは絶無だったに違いない。

その「歴史的なピッチ」の風景が 司馬遼太郎作 世に棲む日日 第三巻 に描写されている。(必読です)

正一郎は、ときに51歳である。
夜中、突如の客をむかえ、奥の客間で相対座した。(※予告なく突然夜来ました。)
24歳の高杉を一目みて (この人物は容易ならぬ)
と、もう対面の早々から、百年の知己のようであったという。
正一郎は幕末英雄をほとんど知っていた。その眼識をもってしても、晋作という男は、よほどの人物に映ったらしい。

中略

(なるほど)
とうなずくばかりの正一郎の方も、実は自分よりも二廻り以上齢若な晋作を、肚の中で、
(今まで これほど本物な人間をわたしは見た事があっただろうか)
と驚きと感動を押しころしながら、晋作との対座を続けている。
正一郎は最後に点頭すると、
「相わかりました」
と言い、一つ固唾をのんでから、
「およばすながら手前、あなたさまについて参りましょう」といった。
ついて参る、というのは容易ならざる発言であった。

(※いやーどうですかこのmtg。過去何度も創業者との最初mtgの冒頭5分で投資を決定した事があるのでよくわかります、と言えばおこがまし過ぎるのですが。息を呑みます。)

当時、諸外国が武力を背景に日本に開国を迫り、老朽化した封建体制である幕府には事態の収拾能力がない事が次第に天下に露呈し始め、尊王攘夷の嵐が日本中に吹き荒れ、全列島が沸騰しつつあるような時勢、その中で行われた熱量の高いピッチだったに違いない。

この一回の会見で出資や本部提供まで決まったという。

それから先、外国艦隊との戦争、奇兵隊が最大勢力となっていく藩内のクーデター、長州藩政権奪取、幕府との戦争、そして倒幕へと繋がっていくから、この事業の歴史的な意義は半端ない。それはまたの機会に書く。

奇兵隊の一部。
あまり写真も絵も残っていない。あるのは有名なこの一枚

維新は長州だけの仕事ではない。しかしこの時期はまだまだ薩摩藩も倒幕に本気ではなく、この一件がなければ幕府は長く続いた可能性は否定出来ないし、日本が独立を維持して明治維新に成功したかもわからない。それほどまでの事業が、藩の資本でもなんでもなく、一民間人の即断で提供されたとは、驚く以外になく興味が尽きない。
というか世に生まれてきた以上、こういう事業とか出資こそ、してみたいものである。

Knights

a World History Lover. Investor&Innovator. 大の世界史好き 歴史の底流を構成する時代のマグマや大陸プレートの衝突を考察、そこに現代の企業戦略が投影される様子を観察するのが特に興味の対象 日本史は司馬遼太郎ファン 生業は日経500上場会社経営業、世界中のベンチャーに投資するなど

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