歴史を動かした「シード投資家」

Knights
4 min readJul 21, 2019

白石正一郎 という人がいる。

幕末の長州藩は下関にいた豪商、だ。国内貿易商らしい。つまり商社経営者という事になる。
この人が歴史に名前が残るのは、歴史を回転させたある大事業に出資したからだ。しかも家を傾けるほどに出資し、遂には本当に倒産してしまったという。

「この出資がなければその事業は世に出なかった」という出資は、我々シード投資家には一つのロマンである。
ロマンス、とさえ言ってよい。
グロース投資にも意義があるが、すでに事業がグロース段階なのだから他にも投資家は探せばいるはずなのだ。しかしシード投資は歴史のIFのようなもので、その瞬間にその投資があったからタイミングよくその事業が立ち上がり、1か月でも出会いがずれていれば別の歴史になっていた、という事は珍しくない。そこにロマンがある。

さてその大事業とは。
企画者は、日本史上初の、階級を超えた民間の「市民軍」を創設し、アメリカ、イギリス、フランス、オランダ、という外国艦隊の長州侵攻を下関海峡で食い止め、戦い、あわよくば270年続いた政権である徳川幕府をも倒してしまう、その中核勢力を創設する、という。
当時でいえば途方もない、クレイジーにも程があると思えたはずのアイディアだった。参加者も出資者すらも、命を危険にさらさねばならない。

それが、「奇兵隊」の創業、である。
創設者は、高杉晋作。
本部は、白石正一郎邸。白石氏自身がCFOも兼任した。
幕府崩壊の5年前、1863年の事。

一町人がこれほどの企画に資金提供、共同創業という形で参加するチャンスは絶無だったに違いない。

その「歴史的なピッチ」の風景が 司馬遼太郎作 世に棲む日日 第三巻 に描写されている。(必読です)

正一郎は、ときに51歳である。
夜中、突如の客をむかえ、奥の客間で相対座した。(※予告なく突然夜来ました。)
24歳の高杉を一目みて (この人物は容易ならぬ)
と、もう対面の早々から、百年の知己のようであったという。
正一郎は幕末英雄をほとんど知っていた。その眼識をもってしても、晋作という男は、よほどの人物に映ったらしい。

中略

(なるほど)
とうなずくばかりの正一郎の方も、実は自分よりも二廻り以上齢若な晋作を、肚の中で、
(今まで これほど本物な人間をわたしは見た事があっただろうか)
と驚きと感動を押しころしながら、晋作との対座を続けている。
正一郎は最後に点頭すると、
「相わかりました」
と言い、一つ固唾をのんでから、
「およばすながら手前、あなたさまについて参りましょう」といった。
ついて参る、というのは容易ならざる発言であった。

(※いやーどうですかこのmtg。過去何度も創業者との最初mtgの冒頭5分で投資を決定した事があるのでよくわかります、と言えばおこがまし過ぎるのですが。息を呑みます。)

当時、諸外国が武力を背景に日本に開国を迫り、老朽化した封建体制である幕府には事態の収拾能力がない事が次第に天下に露呈し始め、尊王攘夷の嵐が日本中に吹き荒れ、全列島が沸騰しつつあるような時勢、その中で行われた熱量の高いピッチだったに違いない。

この一回の会見で出資や本部提供まで決まったという。

それから先、外国艦隊との戦争、奇兵隊が最大勢力となっていく藩内のクーデター、長州藩政権奪取、幕府との戦争、そして倒幕へと繋がっていくから、この事業の歴史的な意義は半端ない。それはまたの機会に書く。

奇兵隊の一部。
あまり写真も絵も残っていない。あるのは有名なこの一枚

維新は長州だけの仕事ではない。しかしこの時期はまだまだ薩摩藩も倒幕に本気ではなく、この一件がなければ幕府は長く続いた可能性は否定出来ないし、日本が独立を維持して明治維新に成功したかもわからない。それほどまでの事業が、藩の資本でもなんでもなく、一民間人の即断で提供されたとは、驚く以外になく興味が尽きない。
というか世に生まれてきた以上、こういう事業とか出資こそ、してみたいものである。

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Knights

a World History Lover. Investor&Innovator. 大の世界史好き 歴史の底流を構成する時代のマグマや大陸プレートの衝突を考察、そこに現代の企業戦略が投影される様子を観察するのが特に興味の対象 日本史は司馬遼太郎ファン 生業は日経500上場会社経営業、世界中のベンチャーに投資するなど